10月9日の朝鮮の核実験で、朝鮮が得たものについては、昨日書いた。今日は、朝鮮が今回の核実験で失ったものについて考えてみたい。
朝鮮が失ったものは、大きく分けて2つである。
1.朝鮮はよき理解者と友人を失った。
核実験を行ったことで、朝鮮の実情や朝鮮人の心情を知り、行動の真意を斟酌し、擁護してくれた多くの人々を窮地に立たせ、朝鮮から一時的にしろ離れざるを得ない状況に追い込んでいる。
ひとつの例が、在日朝鮮人である。帰国運動で兄弟姉妹が朝鮮に住んでいる人々も多いので、朝鮮の事情も、その大変な生活も知っている人が多い。それでも、さまざまな理由で朝鮮に対して共感を持ってくれていた人々が、今回の核実験により日本社会で暮らしにくくなってしまった。朝鮮学校の生徒が通学中に襲われる事件が日朝関係の悪化時には起こることが多く、身の危険を感じる人もいる。
10月11日現在、朝鮮総連のホームページ(日本語版)には、核実験についてのニュースも論評も掲載されておらず、朝鮮語版には核実験についての『朝鮮新報』のニュース記事へのリンクがあるだけで、論評は掲載されていない。朝鮮総連が公然と今回の核実験を正当化すれば、日本社会で総連のメンバーが円滑な日常生活を送ることが難しくなってしまう。(人の顔に「総連」と書いてあるわけではないので、朝鮮風の名前がついていれば、在日韓国人でも在日朝鮮人で総連に入っていない人もとばっちりを受ける可能性は高い。)これを機に、総連を脱退する人も出てくるだろう。
もう一つの例が、中国や韓国に代表される、朝鮮の立場を理解し、朝鮮が国際社会において「名誉ある地位」を占められるようにする政策をとってきた国々である。中国は隣国であり、中国革命において共に戦った記憶もあり、アジアの大国として朝鮮を擁護する立場を維持してきた。国家間の関係は各国の利益を最大化するという目的で動いているのといえばそれまでだが、中国には中朝間の関係を悪化させないようにするために尽力してきた「友人」が多くいたはずだ。それなのに中国の面子を朝鮮はあっさりとつぶしてしまった。
韓国は同じ民族の国として、朝鮮の人々の心情を理解し、人々が困窮している現状を忍びなく思い、「統一費用支払の先延ばし」などと批判をされながらも人道的援助や南北経済協力を進めてきた。政治的にはいろいろな思惑はあっただろうが、包容政策がここ7年間ほど維持されてきたのは、韓国の人々の「北の同胞個人には罪はないから、飢えさせるのは忍びない」という気持ちであった。朝鮮は核実験を行うことで、これまで自らに対して同情的であった人々の感情を害するだけでなく、その立場をも危うくした。南北経済協力は当分の間、停止せざるを得なくなるだろう。
朝鮮の核実験は、これまで朝鮮に対して融和的であった国々の政策を根本から覆す契機となる。核保有という「成果」と引き替えに、朝鮮はこれまでとは異なった、世界に生きることになるだろう。
2.朝鮮は大義を失った
朝鮮の核開発の目的は、金融制裁を解除せず、あくまで朝鮮が先に丸腰になることを要求するアメリカに対して、究極的にはミサイルに搭載可能な核弾頭を開発し、核保有国になることによって、有利に交渉を進めるためのものだと考えられる。また、副次的には通常兵力では太刀打ちできない韓国に対する優位性を確保するための手段だと考えることができるだろう。(後者については朝鮮は公式には認めていない。例えば、核実験に関する朝鮮外務省の声明を参照)
つまり、朝鮮は核保有国になることにより、アメリカなど世界の主要国と対等の地位につくことができると考えているようだ。(南北間の軍事力の格差も乗り越えるという副次的効果も、公式には認めていないがあるのではないかと思う)しかし、朝鮮の核ミサイルは現状ではアメリカ本土には到達しない上、核開発を行った上でミサイル発射の準備をすれば、アメリカの攻撃を招くことが容易に予想される。中距離ミサイルに核弾頭を装着すれば日本や中国、韓国、ロシア極東を射程に入れるが、それをすれば、北東アジアの軍事的緊張が一挙に高まる。核兵器の開発が、対米交渉のためのカード以外の目的を帯びていないという保証がないため、周辺国は最悪の事態に備えることになる。
核実験を行ったことで、多くの人々が朝鮮の核開発の意図を怪しんでいる。「帝国主義に反対する発展途上国」という道理を捨て、なりふり構わない軍拡国家と認識されるようになってきている。これまで自らがアメリカをはじめとする先進国の「力の論理」の不当性を主張していたのに、まさにその力の論理を追求する勢力に入ってしまったとすれば、朝鮮を「アメリカにいじめられながらも、自主路線を追求する非同盟国家」と認識していた人々は、朝鮮に裏切られたと感じるだろう。
アメリカに対して公然と反旗を翻し、朝鮮と関係を親密化させ、ミサイルの拡散などが懸念されていたベネズエラでさえも、このような力の論理を公然と掲げる行為に対しては(内心快哉を叫んでいるかもしれないが)反対せざるを得なかった。
朝鮮の個々の行為に対しては疑問を持つことがありながらも、朝鮮のアメリカをはじめとする先進国の身勝手な姿に対して決然と対抗している点に共感を持ち、内心応援をしていた人々も、朝鮮がアメリカとの交渉の手段とはいえ「朝鮮半島の非核化」という大義を捨てたこと(やむを得ない措置であり、大義は捨てていないと主張はしているが)に対して、厳しい視線を向けるだろう。国際社会における朝鮮の言説の力(建前としての)は相当減少すると予想せざるを得ない。
勉強させていただきました。
得たものと失ったもの、天秤にかけるとどちらが重いのか、今の時点では私には判断できません。
ただ朝鮮が核保有をしたのは、マスコミで言われているような理由もあるでしょうが、もっと大きな戦略的な意図があったのではないかと(その成否は別にして)深読みしています。
コメントありがとうございます。
核保有を行った理由については、朝鮮半島の統一に関連して、一貫した論理に基づく説明を朝鮮は持っていると思います。ただし、それが外部に理解されるかどうかは別で、そこが朝鮮の「わかりにくさ」につながっているのかな、と思います。