2008年3月、南京(その4)

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南京大虐殺記念館を見た後は、中華民国時代に総統のオフィスがあった総統府へと向かった。

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南京の総統府

この総統府の場所は、辛亥革命後の1912年に「南京留守府」として建設され、1927年9月に国民政府が業務を開始し、総統府と呼ばれるようになった。その後、1937年の南京陥落後は日本軍の施設として使われ、1946年に再び国民政府の所在地となり、1949年4月23日の南京解放で共産党軍に占領される。中国の近代のめまぐるしい変化を見守ってきた建物だと言うことができるだろう。

ここでの発見は、中国革命というものは、共産党が始めたのではなく、あくまでも1911年の辛亥革命から連続した一連の出来事である、という当たり前の事実の再発見だった。

日本でも1945年を境にして、歴史を区切って考えることが多いが、日本人のほとんどが1945年に死んだわけではなく、人的にもその人たちが持っている思想の面からも「戦前・戦中」と「戦後」は連続している。中国も「新中国」の成立前後で歴史の断絶があるわけではない。

総統府館内の展示は、そのような連続性を前提としたものであり、「新中国」成立前の中華民国やその周りにいた人たちの描き方は基本的に「反動」ではなく、「革命勢力」(もちろん、そこに名前が出ているということは、共産党から見て許容できる人なのだが)と描かれている。

蒋介石の執務室だった部屋は、写真撮影禁止だが、部屋の中には青天白日満地紅旗が(当時、五星紅旗はまだなかったから、当たり前といえば当たり前だが)飾ってある。ちなみに、この元執務室、監視要員は誰もいないので、写真を撮ろうと思えば撮れる。実際に、多くの人たちが物珍しそうに青天白日満地紅旗を携帯電話で撮影していた。

現在、大陸と台湾の確執は確かに激しく、戦争の危険を排除できないが、元はといえば国民党も共産党も、清朝に反対して革命を起こす勢力であり、中国の近代化を推進してきた勢力だ。1911年に、早くも皇帝を廃してしまった中国は、政治原理の点ではかなり早く近代化を達成したと言えなくもない。


総統府を訪れて感じたのは、アジアの現在を考えるとき、現在から前後100~200年くらいのスパンで物事を考えないと、多くのものを見落とすのではないか、ということだった。

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