中国・黒龍江省黒河からロシア・アムール州ブラゴベシチェンスクまでの距離はわずか700メートルほどだ。冬は黒龍江(アムール川)が結氷するので、そこを車が走るので、陸路での移動が可能だが、結氷期以外は船での往来となる。
黒河からブラゴベシチェンスクへの出国は、大黒河島国際商貿城の隣にある黒河口岸で行う。中国の他の口岸と同じく、税関検査を済ました後、出国審査となる。
日本人は中国の辺境に行ってもたくさん見かけるが、それはどうも南部や西部が主のようで、黒龍江省からロシアに抜ける国境にはそれほどたくさんいないようだ。というのは、黒河からの出国で、パスポートの増補部分の検査のために30分ほど待たされたからだ。
日本のパスポートは、査証欄(スタンプを押すところ)がいっぱいになると、1回にかぎり追加のスタンプ欄をひっつけてもらうことができる。これを増補という。これはパスポートに増補紙をテープで貼り付け、貼り付けたところに割印(エンボス)を行う。この貼り付けは手動で行われ、しかもパスポートの表紙は増補部分の余裕をもたずに作られているので、増補部分は表紙からはみ出してしまう。これが何となく、偽造パスポートのように見られるのだ。
日本人が多いところだと、増補してあっても何ら問題なく国境を通過できるのだが、初めて増補したパスポートを見る場合、係官によってはパスポートの有効性について疑念を持つ人もいるようだ。ここ黒河では、まさにそのようなケースにあたり、パスポートが真正な物かどうか検査に回され、30分ほど待たされた。
出国審査後、乗船となるのだが、実は黒河口岸の前には、ロシア行きの渡し船の切符を売る場所がない。なので、切符をもたないまま、乗船口につながる通路まできてしまった。警備をしていた辺境警備隊の係官に「切符がないのだけれど」と伝えると、「ちょっと待っていろ」といって、どこかに行ってしまった。5分ほど待っただろうか、件の係官がやってきて「これが切符です、100元」と言われた。ロシア語で書かれたその切符がどういうルートで手に入れられたのかはわからないが、妥当な金額だったし、礼を言ってお金を払った。
船に乗って40分ほど出航を待った。街の中よりは川の上を流れる風は涼しいとはいえ、暑い中待たされて閉口した。出航すると、船はゆっくりと黒龍江を渡りだす。15分ほどで対岸の埠頭に到着した。
ロシア側の埠頭は、高い堤防の下にある。荷物を持って、30段ほどの階段を上がる。上がりきったところに広場があり、出入国審査と税関検査(検疫も)をする建物がある。建物の中に入ると、エアコンが効いていた。さすがロシアはヨーロッパだけある。
出入国カードをもらい、記入する。列に並んで5分、順番が来てパスポートを渡すと、中国のパスポートだと思っていた係官の表情が困惑の表情になる。電話をして別の係官を呼びパスポートを虫眼鏡で見たり、ブラックライトにかざしたりして真正旅券かどうかの検査をしているようだった。結局係官だけでは決められず、上官を呼び、別室でパスポートの鑑定をすることになったようだった。「ここで待っていろ」と身振りと簡単な英語で指示され、入国審査場でパスポートが帰ってくるのを待った。
30分以上待っただろうか、パスポートが本物であることが証明され、審査が開始された。今度は割合スピーディーに審査が進む。審査が終わり、スタンプの押されたパスポートを受け取ると、係官が「お疲れ様でした」と言いたいのか、にっこり微笑んでいた。
その後、ロシアではおきまりのイミグレーションによる(出入国審査は国境警備隊が行う。イミグレーションは内務省)パスポートのチェックと登録が行われ、その後に税関検査。買い出し客が多い中でカバン1つだけなので、すぐに検査は終わり、建物を後にした。
ブラゴベシチェンスクにはいくつかホテルがあり、そのうちユービレイナヤホテルというのがどうやら代表的なホテルらしいことがわかっていた。しかし、川に近いホテルはドルジバホテルだそうだ。どちらも、実際にどう行けばよいのかよくわからなかった。
タクシーに乗ろうかと思いかけたその時、埠頭前にバス停があり、何人かの人が待っているのを見つけた。おそらく街の中心に行くだろうから、バスに乗って街に行くのも悪くはないと思い、バスを待った。
数分後に来たのは、バスと言うよりは乗り合いタクシーのようなバンだった。急いで乗り込んで、行き先として「ホテル」と言うと、運転手は頷いた。おそらく近くまで行ってくれるのだろう。
3つめくらいのバス停で、「ここで降りろ」と身振りで教えてくれる。「ホテル」というと「あっち」と指をさされる。よくわからないが、周囲の雰囲気は特に悪くはないし、まだ昼間なので、大丈夫だろうと思い、そちらの方向に向かって歩き始める。
数分歩くと、何となくホテルの雰囲気を漂わせる建物が見えてきた。看板には「ドルジバ」と書いてある。予約はないが、とりあえず中に入り、宿泊できるか交渉してみることにする。
ホテルはほぼ満員で、4000ルーブルの部屋しかなかった。しかし他のホテルがどこにあるかわからない以上、ハイシーズンである6月に部屋を押さえておかなければ泊まるところがなくなるかもしれないという恐怖感もあるので、地方都市のそれほど高級とはいえないホテルだが、その値段で泊まることにした。
高級な部屋だけあって、ホテルからはウスリー川(黒龍江)がよく見える。対岸の黒河の街も少し遠いが見えた。黒河の街からこのホテルまで3キロくらいしか離れていないが、渡ってくるのに3時間ほどを要した。北東アジアでは国境越えは平均して数時間かかると見ておかないといけない。これが同じ中国の隣国でも、ベトナムとかラオスだともう少し迅速にことが運ぶ。
国境通過にかかる時間は、その国や地域の緊張や矛盾の皮膚感覚(実際の緊張や矛盾の度合いではなく)と関連があると思う。その意味で北東アジアは、清とロシアの勢力争いや日清・日露の戦争、満州国の存在、東西冷戦や中ソ対立といった、世界的な大国間の緊張の中に長い間あった地域で、その名残が色濃く残っている地域だということと、もともと国境自体が人口が少なく、頻繁な往来がなかった所に設定されたので、皮膚感覚として国境の敷居が高いのだろう。
ブラゴベシチェンスクで1泊した後、ハバロフスクに向かう。市内から空港までは約25キロ。ホテルから空港までのタクシー代は400ルーブルだった。ウラジオストクで、1キロだけ乗っても100ルーブル以上とられた経験があるので、空港までのタクシー代がいくらになるか気になって仕方なかった。降りるときに足りないと言われることを覚悟で500ルーブル渡すと、100ルーブルおつりを返してくれた。ウスリースクもそうだが、田舎の街のロシア人は正直な人が多いようだ(つまりウラジオが例外ということか)。
ブラゴベシチェンスクからハバロフスクまではダリアビア航空のアントノフ24型ターボプロップ機に乗った。チェックインしても座席を指定してくれないのでおかしいと思っていたが、自由席だった。がらがらだったので皆が思い思いの席に座っていた。2時間ほどでハバロフスクに到着したが、途中に見た半分湿地の原野が続く風景は、耕地が広がる中国・東北地方とは異なり、雄大な自然の風景だった。
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