2008年9月、建国60周年を迎えた平壌(その3)

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訪問期間中、マスゲームと芸術公演を取り混ぜた「アリラン」を観にいった。以前「アリラン」を見たのは、2005年だった。3年たってから観ると、毎年少しずつ芸術講演の比重が高まってきていることを感じた。


最初のころは、参加者の多くが青少年(学生)中心だったのが、大人の参加者の比重が多くなってきたように思う。今回も会場の綾羅島メーデースタジアムに行くと、準備を終えて会場に向かう参加者たちが行進している姿を見ることができた。



今年は、上の写真のように、大人による競演も多く、また演技に見入ってしまって写真が撮れなかったが、アクロバティックな出し物も増えていた。北京オリンピックの開会式の時に聖火に点火した李寧(Li Ning)さんのように、空中をワイヤーに吊られて舞う出し物もあった。

とはいえ、物語の中には朝鮮の建国から現代までの歴史と今後の朝鮮の姿が、現在の朝鮮の観点から整理されて入っていることに変わりはない。国民に対する思想教育の一環としての「アリラン」の姿は、朝鮮の視点から近現代史と朝鮮の姿、そして朝鮮の未来を考えるうえでのまたとない教材ともいえる。



朝鮮の経済政策についての場面を見ていると、朝鮮が現状をどう把握し、どのような発展を目指し、そのための方法は何なのかについて、知ることができるようになっている。本来、「アリラン」はそのための宣伝手段なので当然だが、朝鮮の人々がどのような教育を受け、世界情勢をどのように判断しているのかを知るうえで、そして朝鮮に流れる「雰囲気」を感じるうえで、朝鮮を研究対象にしている研究者にとっても有用なツールだと思った。

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コメント(2)

お久しぶりです。

ー朝鮮の経済政策についての場面を見ていると、朝鮮が現状をどう把握し、どのような発展を目指し、そのための方法は何なのかについて、知ることができるようになっている。本来、「アリラン」はそのための宣伝手段なので当然だが、朝鮮の人々がどのような教育を受け、世界情勢をどのように判断しているのかを知るうえで、そして朝鮮に流れる「雰囲気」を感じるうえで、朝鮮を研究対象にしている研究者にとっても有用なツールだと思った。ー

この箇所をもうすこし具体的にお話していただけないでしょうか?

ごぶさたしています。
システムを入れ替えたので、hakhonさんのコメント処理がうまくいっていませんでした。申しわけありません。

集団体操と芸術公演「アリラン」は、ひとつの物語として、朝鮮の近代史から現在、そして将来の展望までを語るものとなっています。マスゲームと公演の内容は、ひとつの大きなストーリーの一幕として演じられています。

「アリラン」の観客としてのターゲットは、人数の点から言っても、外国人観光客ではなく、国内の観覧客であると言えると思います。したがって、「アリラン」とは、現在の朝鮮労働党の考える歴史観や国際関係の視点に立って、朝鮮の近代史と建国、朝鮮戦争と戦後の復興、社会主義経済建設、将来の展望について楽しみながら学ぶことのできる教材だということができるでしょう。「アリラン」は朝鮮労働党の国民に対する「教養事業」、外国人に対する「対外宣伝」の一環だと言えると思います。

朝鮮の人々にとっては、この「アリラン」に出てくるような視点が、学校や社会で教えられるオーソドックスな歴史観、発展観であるといえると思います。「アリラン」を見ることによって、外国からきた人々も朝鮮の人々が朝鮮の近代史から現在、将来の展望をどのように認識しているかを知ることができると思います。

そういう意味で、朝鮮を研究対象にする人にとってもよい教材だと思います。

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