2006年11月14日の閣議で日本政府は国連安保理決議1718に基づく「ぜいたく品」の禁輸内容を具体的に指定した。(13日の期限までに制裁委員会に制裁履行計画の報告書を提出したのは韓国と英国、カナダ、オーストラリアだけで、日本は若干遅刻することになった。)
日本が禁輸にした品目は政令に定められている。(ダウンロードはこちら(ファイルに保存してから開いてください))
告示でこのうち、八の魚のフィレは「まぐろ」に、二十二のモニター類は「放送用のもの」に限定されている。
(関連する告示のダウンロードはこちら(ファイルに保存してから開いてください))
これらの品目の多くは、朝鮮の一般庶民が口にしたり、所有したりしないものなので、輸出を禁止しても特段問題はないと思われる。しかし、平壌では外国人や在日朝鮮人、それに一部の帰国者や「日本人妻」などが利用する日本料理屋やホテルのレストランで多く消費されている品目が含まれている。
また、帰国した在日朝鮮人や一部の「日本人妻」やその家族に送られる品物も、輸出規制の対象になるが、日常生活用品で問題になりそうなものがいくつかある。
例えば、七の化粧品、八のカバンや十の財布類の中で革や合成皮革であれば、通学用カバンも含まれてしまう。また、ラジカセやビデオの部品、ビデオカメラやデジタルカメラ、一眼レフのカメラ、映画用の撮影機や映写機、写真の引き伸ばし機やスライド映写機も輸出できない。金正日総書記が写真や映画好きであるという情報があるため、写真や映画に使う機材は輸出禁止にしたようだ。これは単なる嫌がらせ以上のなにものでもないだろう(一人が使う機材くらいなら、他国で調達できる)。また、ラジオも輸出禁止である(朝鮮にいる拉致被害者向け放送を行うべきだとNHKに命令しようというのに、またブッシュ政権は朝鮮にラジオをばらまいて、情報攻勢をかける条項を「北朝鮮人権法」に入れたのに、不思議だ。おそらく携帯ラジオではなく、放送機器のラジオ受信機を輸出禁止にするために同じHSコードになっているものが巻き込まれたのだろう)。
それより、問題はそのリストの作成過程である。日本政府が定義するぜいたく品の定義は「(1)北朝鮮幹部が主として使用する。または部下らに支給するのに用いる、(2)北朝鮮国民の生活レベルからすれば、同国民が使用しているとは想定されない」とのことなので、これに当てはまるものを日本の貿易統計の中から抜き出して指定するという作業なのだが、11月6日付の朝日新聞のウェブページでは藤本建二氏の著書『核と女を愛した将軍様―金正日の料理人「最後の極秘メモ」』を片手に制裁品目案を作成する場面が紹介されている。
一国の経済安全保障政策が、内容が検証されていない娯楽書によって(娯楽書としてはそれなりに完成されているし、私も前著を読んで面白いと思ったが)立案されるというのは、これまでもあったことかもしれないが、それがメジャーなメディアで報道されても誰も文句を言わないというところが、今回の「制裁騒動」の異常さを示している。(案を作成している官僚自身がそれを隠していないことからすると、本当は検証済みなのかもしれないが。)
政府は禁輸の目的をどう考えているのだろうか、塩崎官房長官は11月14日の記者会見で、指定した品目について「北朝鮮当局の幹部、朝鮮労働党の中央委員会委員などの人たちが自ら使うか、部下に支給をするということに使われそうなものを決めた」と説明した。しかし、このような品目はなくても生活に支障のないものであって、それが国連安保理決議で手に入らなくなったのであれば、「アメリカの政権転覆策動である」と言って、我慢させることも可能だろう。
安保理決議1718の中で重要なのは、中国、ロシアが国際社会の場で公式に朝鮮の核実験を非難する決議案に賛成したことと、経済制裁条項のうち、8の(a)の(i)と(ii)の部分と(b)以下である。これらの部分がしっかりと行われるかどうかが、この決議案が生きてくるかどうかを決定する(とはいえ、そのうちの多くは既存の輸出管理の枠組みで規制されている)。
朝鮮経済は1998年からプラス成長を続けており、2002年の「経済管理改善措置」でさまざまな経済改革措置がとられていることが明らかになった。計画経済の事実上の破綻から(はじめから計画経済ではないという議論もあるが)、庶民は政府を頼りにするのではなく、自分が働かなければならないということを学びつつある(エリートはこれからだろう。市場化への対応という点で、朝鮮のエリートは遅れている)。経済活動の結果として贅沢ができる(その程度には差があるが)新興富裕層、中間層も生まれてきているのだ。今回の「ぜいたく品」禁輸は、最近の朝鮮経済における下からの市場化の進展と新たな経済活動主体の芽生えという大きな変化を見落とした結果起こった事態である。
結局、安保理決議の中で、「ぜいたく品」禁輸条項自体がある意味茶番(もともと付け足しであったが)であったということだろう。
朝鮮の核実験は日本の安全保障に対する脅威であることは間違いない。それを解決する手段として、このような茶番がまじめに報じられているというのは、日本は本当に平和でいい国だと思う。
本来ならば、韓国のPSI不参加の経緯や理由などについて深度のある報道がなされるべきだろう。日本から見れば韓国がPSI不参加を表明するのは、一種の裏切りに見える。アメリカも現状ですぐにPSIを黄海や日本海で行うつもりはないようだから、ある意味韓国のPSIへの参加は日韓米の結束を表す「踏み絵」であった。なぜ、韓国がPSIに参加しないかを掘り下げて考えることが、現状を理解するためのよい例となろう。
朝鮮は外的な圧力によって政権の正統性が高まるという構造を持っている。そこでこのような(本当は圧力にならないのだが)圧力をかければ、国内の引き締めを行う口実を与えることになる。そのようにして、軍事力に頼ろうとする強硬派が力を持つことを日本が(また世界が)助けることが日本の安全保障にどのような影響を与えるかを考える必要がある。
朝鮮が中距離ミサイルに搭載可能な核弾頭を開発するまでの時間がどれくらいかかるか、それは分からない。しかし、その期間がそれほど長くはないとすれば、日本は事態を解決するために残された時間を現在、空費していることになる。
日本の安全保障上の危機であるにもかかわらず、日本はそれほどあわただしく動いているわけではない。日本の政府首脳は朝鮮が核兵器の先制使用をしないと宣言したのを信じているのだろうか、それとも核実験は本当は嘘だったと知っているのか、あるいは朝鮮が数年のうちに崩壊すると楽観しているのかもしれない(昨今の「核武装議論」などを見ると、そうやって危機を作り出すことにより、日本が核武装できる環境を整えるという高等戦術がとられている可能性も否定できない)。
朝鮮が核兵器を使う対象がどこにあるかを考えてみよう。中距離ミサイルを発射するとすれば、その射程に入る国は中国、韓国、ロシア、日本である。このうち中ロは核兵器の保有国であり、韓国は「同胞」の住む場所であり、通常兵器でもソウルに壊滅的な被害を与えることができる。残るは日本のみである。朝鮮がもし核兵器を使用せざるを得ない状況に追い込まれたときに、使用する対象としてトップに来るのは日本である。
日本政府が国民を守るためには、(1)朝鮮の核廃棄の動きを進める、(2)核を持った朝鮮に核を使わせない関係(必ずしも友好的でなくともよい。「冷たい共存」で充分だ)を築く、(3)核兵器が完成する、あるいはその発射前にその力を物理的に除去する、という選択肢がある。そのうち、(3)は現行憲法下では不可能だし、憲法改正をしても軍事力の整備にはかなり時間がかかる。そうすれば、(1)か(2)かを選択しなければならない。(1)は国際社会との協調を行わなければならないし、そう簡単に事態が解決するとは思えない。日本が独自で行えるのは(2)であるが、残念なことに日本政府は拉致問題というハードルをおいて朝鮮政府との対話の扉を閉ざしている(このことは機会があれば詳しく述べたい。朝鮮はどうやったら日本を満足させることができるのか、分からなくて困っているのだ)。
朝鮮という国家を好むか好まないかは個人の自由であるが、国民の安全を守るのは政府の義務である。日本政府は国民の安全を守るために、厳しい現実に立脚した政策を立案し、国民の理解を求める必要がある。また、国民は朝鮮を嫌う代償として自らに災難が降りかかる可能性を選ぶか、それとも現実的な対応をして安全を選ぶかを選択しなければならない(このような選択を日本に強いることができるのは、朝鮮が核兵器を持ったからだ、と朝鮮政府は自慢するかもしれないが、それは事実だから仕方がない)。
朝鮮の核実験によって、日本が暮らす北東アジアの環境は大きく変わったことを、日本は自覚する必要がある。死にたくなければ、行動するしかない、それが「普通の国」々での常識であろう。
(11月16日13時30分 追記・一部修正)
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