2009年3月アーカイブ

集団体操と芸術講演「アリラン」の内容は、朝鮮の現代史から将来の朝鮮の姿までを描くものとなっている。朝鮮労働党の考える歴史観、発展観に基づいて作られた巨大な「官製宣伝劇」と言ってもよいだろう。

「アリラン」の主要な対象は外国人観光客ではなく、実は、自国民だ。自国民を対象とした教育・宣伝を外国人(や海外同胞、南の人たち)が見ても楽しめるように芸術的に洗練させたものが「アリラン」と言えるだろう。

そういう「官製宣伝劇」は朝鮮半島研究者にとっては大変貴重な教材となる。なぜなら、「アリラン」には現在の朝鮮労働党が考えている世界観が反映されており、朝鮮の現状や政策を分析するときには、その世界観を知っておく必要があるからだ。

朝鮮の視点から朝鮮や周辺諸国、世界を見る視点を養うには、「アリラン」はとてもよい教材だ。



私は朝鮮経済に関心があるので、「アリラン」で経済がどのように紹介されているのかに注目した。その3で紹介した畜産の振興など、「人民生活向上」に関連するものとしては、大豆の増産や種子革命といったおなじみのスローガンがたくさん出てきた。


朝鮮は最近、産業政策で科学技術重視を打ち出しているが、「科学技術-最先端水準に」というスローガンが登場した。その他、IT重視などのスローガンも出てきた。



経済の話が終わった後、出てきたのは朝鮮の対外活動の基本である「自主、平和、親善」だった。この方針は1992年の憲法改正で、それ以前の「国家は、マルクス・レーニン主義及びプロレタリア国際主義原則で社会主義国と団結」するというものから大幅に変更されたものだ。



私は「アリラン」が「自主、平和、親善」のスローガンで終わったところに、朝鮮労働党の対外関係改善、特に米国と日本に対する関係改善の熱意を感じた。現実の行動では日本人から見ると好戦的に見えるが、国民に対する教育で「自主、平和、親善」により対外関係が開けていくと示していることに、朝鮮のある種の本音が見えるような気がした。

もちろん朝鮮の人々がとらえる「自主、平和、親善」の含意と国外の人々がとらえるそれには大きな差違があることも事実だ。国内向けには「自主」の固守を主張し、外国向けには「平和、親善」を強調するイメージ戦略があるのかもしれない。しかし私はソ連・東欧の社会主義政権が崩壊した直後の1992年に朝鮮が20年ぶりの憲法改正をして対外活動原則を変更した事実を重く受け止めたいと思っている。すでにEUの国々はフランス以外、朝鮮と国交正常化をしている。





訪問期間中、マスゲームと芸術公演を取り混ぜた「アリラン」を観にいった。以前「アリラン」を見たのは、2005年だった。3年たってから観ると、毎年少しずつ芸術講演の比重が高まってきていることを感じた。


最初のころは、参加者の多くが青少年(学生)中心だったのが、大人の参加者の比重が多くなってきたように思う。今回も会場の綾羅島メーデースタジアムに行くと、準備を終えて会場に向かう参加者たちが行進している姿を見ることができた。



今年は、上の写真のように、大人による競演も多く、また演技に見入ってしまって写真が撮れなかったが、アクロバティックな出し物も増えていた。北京オリンピックの開会式の時に聖火に点火した李寧(Li Ning)さんのように、空中をワイヤーに吊られて舞う出し物もあった。

とはいえ、物語の中には朝鮮の建国から現代までの歴史と今後の朝鮮の姿が、現在の朝鮮の観点から整理されて入っていることに変わりはない。国民に対する思想教育の一環としての「アリラン」の姿は、朝鮮の視点から近現代史と朝鮮の姿、そして朝鮮の未来を考えるうえでのまたとない教材ともいえる。



朝鮮の経済政策についての場面を見ていると、朝鮮が現状をどう把握し、どのような発展を目指し、そのための方法は何なのかについて、知ることができるようになっている。本来、「アリラン」はそのための宣伝手段なので当然だが、朝鮮の人々がどのような教育を受け、世界情勢をどのように判断しているのかを知るうえで、そして朝鮮に流れる「雰囲気」を感じるうえで、朝鮮を研究対象にしている研究者にとっても有用なツールだと思った。

最近のコメント

OpenID対応しています OpenIDについて
Powered by Movable Type 4.25